【RPG制作講座】媒体としてのRPGを考えてみる

2013年07月06日

 小説や漫画・アニメといったストーリーを持った媒体は数多く存在する。それらとRPG(正確に言えばコンピュータRPG?)に共通する部分は多くあれど、文法が異なる部分もまたある。RPGという媒体の特徴を今一度考えてみるため、その差異に焦点を当ててみたい。

 基本的にはRPGを中心に据えて考えるが、アクションなど他ジャンルにも当てはまる部分もあるかと思う。なお、サウンドノベル(特に選択肢を用いないもの)に付いては、性質が極めて小説そのものに近い。

ダンジョンの存在


 RPGにおいて、かなりの時間を占めるダンジョン探索。ダンジョン内部での戦闘を含めると、総プレイ時間の大半を占めることも珍しくない。これを活用したストーリーデザインはRPGならではのものといえる。
 小説や漫画といった媒体においては、ダンジョンの存在は省かれることが多い。それらの媒体ではストーリーが重点に置かれることが多く、ダンジョンを長々と探索する描写を面白くすることは難しいからだろう。

 ……正確にはないこともないのだが、1ダンジョンの中で何十回と戦闘を繰り返したりはしないし、ましてや1つの物語が完結するまでに数十個のダンジョンに潜るなんてこともない。

 ダンジョンには『長い』『ダルい』『古臭い』という面があるのも事実。ストーリー主導のRPGを作りたいならば、ダンジョンを多用する以外のゲーム進行を考えてみても良いだろう。もちろん、RPGならではのダンジョン探索における面白さを追求するのも良しだ。

戦闘の扱い


 漫画等では強敵との戦いは、長々とページを費やして描写することが多い。途中、何度もピンチになったりしながら、流れの中で多くの会話を挟む。自然、敵役のキャラクターも際立つというもの。例え、一度の戦闘しかなくとも強く印象に残った悪役は数多くあげられるだろう。

 しかし、RPGではそうはいかない。なんせ、戦うのはプレイヤー自身なので、どんな流れになるかはプレイヤー次第なのだ。それでも無理矢理、漫画のような長い会話を毎ターン挟んだりするとテンポが悪くなってしまうし、どこか茶番じみてしまう懸念もある。
 敵役を印象付けるには漫画と比較して工夫がいることが分かる。印象付けたい敵キャラは、登場シーンや戦闘シーンといった出番を何度か作るのも1つの方法だ。
 逆にRPG特有の表現方法として、戦闘バランスによって敵を印象付けることも可能である。「このボスは敵の大幹部だけあって、今までのボスを凌ぐ強敵だ」とか「このボスは性格通り、嫌らしい状態異常が多い」とか、能力面で感じさせてみよう。

 「ボスとの戦い→大ピンチ→覚醒してボスを倒す」といった少年漫画ではお馴染みの燃える展開だが、これもRPGでは使いづらい。例えば、英雄伝説シリーズ等にありがちなこととして……

 戦闘画面でボスを倒す。ボスが倒れた演出。
 ↓
 イベント画面に戻ると、ボスはまだピンピンしている。そして……
 「中々やるな。だが、その程度で私を止められん」
 とか何とか言って、切り札を出してくる。一転、ピンチに。
 ↓
 誰かが助けに来てくれる or 仲間の誰かが覚醒する

 いかにも、それっぽい演出がやりたかったのだろうが、余りスムーズではないように思う。個人的には戦闘画面をそのまま使った方がスムーズではないだろうか?

 戦闘画面でボスのHPを0にする。ボスはまだ倒れない。
 ↓
 戦闘画面のまま、ボスとの会話イベント発生。
 ボスが必殺技を放ってきて大ダメージ。
 ↓
 ボスと因縁のあるキャラが覚醒してとどめ。

 という感じでどうだろう。ただし、編成システムによっては、因縁のあるキャラが戦闘に参加していないなんて可能性もあるのだけれど……。

パーティ編成


 小説や漫画では、仲間の出入りは比較的自由に行える。仲間の死亡イベントで場を盛り上げるなんて手法は古くから多用されてきた。また、仲間に別行動を取らせることによって、異なる切り口から、それぞれの見せ場を作るなんて手法もとても便利だ。

 しかし、RPGではこういう手法は使いづらい。仲間というのは半分はプレイヤーのものであって、制作者の都合でポンポン離脱されたりしてはかなわない。「俺が考えた理想のパーティ編成を作者の都合で壊すでない!」というわけだ。

 序盤など、仲間がそろうまでは比較的、別行動を取るようなイベントも許容される傾向にある。能力紹介も兼ねて、色んなキャラクターを使わせるようにしてみよう。また、戦闘を挟まないイベントならば、別行動を取らせてもゲームシステム的な支障はない。

無口主人公


 RPGでしか使われない表現に無口主人公なるものがある。これは主人公のセリフをプレイヤーの想像に任せることで省略するという独特の手法だ。他の媒体ではこのような手法を取ることはまずない。強いて言えば、一人称小説で主観者の存在を極力薄くしているものが稀に見られるぐらい。

 これに付いては他の記事(無口主人公の考察)にまとめてあるので、細かくは書かない。

文章表現


 小説では心理描写などを細かく描写されることも多い。しかし、ゲームでは小説のような長々とした描写はテンポを削ぐので嫌われやすい。
 そもそも地の文に当たるものはないのが普通で、キャラクターの描写はセリフや視覚的な動作から行われる。人物の心理はそこから、読み取れるようにすれば十分というわけだ。

サブイベント(任意のイベント)


 RPGの特徴として、プレイヤーが任意に参加できるイベントを作れることが挙げられる。例えば、話の本流には関係が無く冗長になりそうな設定があった場合、町人や本棚を借りて情報を分散させる方法がある。

 他にも、イベントの実行順序を自由にできる作品もあるが、これもRPGの特性といえる。

選択肢・分岐


 選択肢などによる物語の分岐という要素。ちょっと会話が変わる程度のモノから、一切合切のストーリー展開〜エンディングまでが変わってしまうものもある。
 そこまでやる作品はサウンドノベルが多く、長いRPGでは普通にクリアするだけでも大変なこともあってそれほど多くない。

 これはゲーム以外には真似できない要素。大きな分岐を伴うシナリオを長編で作るのは、制作者はもちろん、プレイヤーも大変なので、短編〜中編ぐらいの方が良いかもしれない。長編でやってしまったタクティクスオウガのような例もある。

盛り上がりの期間


 小説のシナリオは一冊300ページ(3〜5時間が目安か?)といった長い期間で盛り上がりが最低1つあれば良い。ミステリーならば探偵と犯人との対決は大抵1回だけだろう。

 ※小説でも「短編集ならどうよ」とか「上手い作家なら途中にも、ある程度の盛り上がりを入れるよ」とかあるが、とりあえず置いておく。

 次に漫画の場合、短い期間での盛り上がりが要求される。これは市販の作品はほとんど連載物な上に、何より打ち切りの恐れもあるという大人の事情がある。「1回の放送である程度は盛り上げないと視聴率が〜」というような理由でアニメも同じ。

 RPGの場合、連載物ではないことからある程度は自由がきく。長い長いストーリー全体を通した起承転結がしっかりとした作品が評価されることが多い。
 とはいえ、小説とは異なりクリアまで何十時間と掛かる作品で、盛り上がりが1度きりというのはどう考えても無理がある。ゲームシステムを発揮するためにも、時折ストーリー上の壁となるボスを設けて盛り上げることが望ましい。

 結局は、『短い間隔』『長い間隔』両方での盛り上がりが要求される。ただし、RPGではストーリー的な盛り上がりを強く狙わなくとも、ボス戦がゲームシステム側から盛り上がりを担ってくれるのは大きい。

ところで


 時々、「プロの小説家にRPGのシナリオを書かせれば良い」なんて意見を見かけるが、実際のところどうなのだろうか?

 私見では主に課題となりそうと思うのは2点。

1.『文章表現』の観点から

 小説家は良くも悪くも長い文章を書くことに慣れすぎている。サウンドノベルならまだしも、これをそのままRPGに持ってきたところで『ダルい』『冗長』といわれる危険性大。『プレイヤーに読ませる箇所』『行間を読ませる箇所』のバランスをうまく調整できるかどうか。

2.『盛り上がりの期間』の観点から

 さっき書いた通り、RPGでは『短い間隔』『長い間隔』両方での盛り上がりが要求される。それをうまくこなしたシナリオを書けるかどうか。

 この2点をクリアできるならば、いいんではないだろうか? ファンタジー作家やSF作家ならば壮大な世界設定。ミステリー作家ならば、怒涛の伏線回収とどんでん返し――というように期待できそう。
 『盛り上がりの期間』の観点から見ると、漫画家とかも良さそうな気がする。もっとも、忙しくてそれどころじゃないって感じだろうけれど……。5年、10年ぶっ続けで週刊連載とかマジキチ。ぼくにはとてもできない。

 ともあれ、他の媒体の長所を取り入れるも良し。あくまでRPG独自の長所にこだわるも良し。そもそも「この話、RPGには向いてないよ」と思ったならば、他のジャンル・媒体で作るのも良し。何を目指すかは制作者次第だ。

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posted by 砂川赳 at 06:00 | RPG制作講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする